嫁不足の原因とは

いうところの「嫁」不足とは、事実として若い女性が生まれ育った町や村を去ったことのひとつの結果です。


なぜ若い女性たちは去っていったのか・・・


それにはさまざまな個別的理由があるでしょう。


わたしは、そうした町や村を訪れてみて、ひとつの共通した理由を見いだせそうに思います。


それは、そうした地域では女性をまっとうに考えていないのではないかということです。


つまり理由のひとつは地位における男性の女性観とその具体的処遇なのではないかということです。


第一、どこでも共通して嫁不足といっています。


実際には「婿」不足の場合もあるでしょうが、それは地域の問題とはならず、もっぱら「嫁」の不足が問題視されています。


言葉遊びのきらいはありますが、「嫁」とは次のような一連の男の女性観の一部です。


つまり、男からみて、女性のいちばん良い頃はといえば「娘」の頃。


その娘が他家からもらわれてくるとき「嫁」となります。


その嫁が、ういういしさを失って亭主にとって鼻につくようになると「婦」(かかあ)となります。


その娯が年老いて古くなると「姑」です。


登校拒否児について 10

何よりも、彼寺崎正一の日米のかけ橋として生命をかけた外交が全然意味がなくなり、しかもそのなかで生き抜いた強じんな意志力がわれわれの心を打ちます。


次にグエンの無謀とも無知とも言えるほどの愛情であり、そこに生まれてくるマリ子の中国、日本、さらに後の米国での生活のタフな生命力がおれわれにせまってきます。


私はこの記録を書物で読みまた、テレビでみたときに、受けた印象を、現代の学校拒否と重ね合わせてみたのです。


おそらく、17歳まで、まともな学校教育を受けられなかったマリ子が中国で、日本で経験した戦中戦後の生活は、この上もない貴重な教材になったのではないでしょうか。


おそらく、この父親は子どもに接した時間はほんの数えるくらいしかなかったでしょう。


その苦労の連続で51歳という若さで死亡したので、まともな学校教育は受けさせられなかったのでしょう。


時代が違う、環境が異なる、生来の素質による……などいくらでも反論ができることを承知の上で申し上げるならば、父親と母親が夢中になって生きている姿こそ最も大切な教育であり、子どもは肌で感じとる生き方こそ、これにまさる教訓は無い、というごくありふれた結論なのです。


学校拒否をしているいとまのない緊張感に満ちた生活、これをわれわれは皆どこかに忘れてしまっているようです。

登校拒否児について 9

そのためにはやはり、それなりの試行錯誤や失敗のつみ重ねが必要でしょう。


学校生活はその大切な場であるとしても、そのエネルギーの活力はいつも家庭で補給される必要があるのではないでしょうか。


現代の一般的な家庭の図式はそのまま裏を返せば、やはり学校拒否を生む家庭状況にそのまま当てはまるようです。


かつてテレビで放映され皆さんもご記憶に新たな「寺崎マリ子」の一生を半ばドキュメントタッチで描きだした記録があります。


われわれ戦争世代に生きた人間にとってはきわめて鮮烈な印象を受けました。


ご承知のことと存じますが、簡単に荒すじを述べるならば次のようになります。


1900年から51年まで生ぎた外交官が、アメリカでその若い情熱を注いで日米の最も困難なときを生き、その間、グエンという女性と結婚し、まもなく日米開戦、戦後の食糧難時代を敵性国民の夫婦として社会的にも物質的にも苦難を経てくるわけです。

登校拒否児について 8

考えてみると、時代がすっかり変わっていますが、われわれの旧制高校の時代は、まさに学校拒否のただ中にいたとも言えるのではないでしょうか。


寮にいたり、または下宿にこもっていて、いっこうに学校に出てきません。


なかには社会的にもすっかり逸脱してしまうものもありましたが、大部分のものは暗中模索、青年らしい未熟ではあるけれどもそれなりの自己開発の自由な時期があり、それなりにのちの活動の土壌となっていたものです。


現代では、そのような時期はどこをさがしてもありません。石塚孝一氏によると、中・高校は上級学校進学のためについやされ、親や社会はそれを要求します。


小数の特殊な能力のあるものはスポーツや技術を生かせましょう。


しかし大多数のものはあえて、学校生活を合理化し、できるだけ生きがいをそこに見いだそうとします。


またそれに成功してとにかく狂乱どとうと言われる思春期の迷いと、完全癖と、一方で野放図な自由を求める時代をくぐりぬけます。

登校拒否児について 7

考えてみると、この子どもはそれまで、良い家庭に育って、教育のある両親の心配りのもとに、面倒を見過ぎたような状況なので、どうにもやりきれなくなって、ちょっと冒険をしてみたわけなのでしょう。


この子どもはその後、どうしても学校へ行かず、中学はなんとか卒業はさせてもらったけれども高校へは行かないで、とうとう東京へかってに出かけ、自分で下宿をさがし、昼間はアルバイト夜は大学資格を得る通信講座の勉強、という生活をはじめました。


経済的にはまったく困らない家庭なのに、あえて、そのような束縛をきらって自活の道を求めたわけです。


そのころでは家のひとはもうなかばあきらめて、当人の思いどおりにさせておいたのですが、その後約2年で大学入学資格を取ってしまい、さらに、進学先の大学も自分で選択して入学しました。


大学生活はこの子どもなりに積極的な勉強をしたようですが、大学を卒業すると、学生時代から参加していた開発途上国の奉仕活動にてい身して、それを自分の生きがいにするようになりました。


大学を卒業してからすでに2年以上たつでしょう。


中近東の国で、その土地の言葉も学習し活発に、自分の専門を生かして活動しているということです。


その後伝えきくところによると、このひとは自分の学校時代ことに、中学校時代を顧みて、あの当時は自分を見いだしていなかったようだ、迷いの時期であった、と言っています。

登校拒否児について 6

それで自室にとじこもっているうちに、あるときちょっと外出した機会に父親がその部屋をみたら、なんと過激派のビラがあるではないですか。


もう学校拒否どころか、何か事件でもおこしたら……と思うと不安で、親自身がノイローゼになってしまいます。


…と。


このような事情のなかで、当人に会ってみた印象では、やはり何も変わったところの無い、礼儀正しい良い子ども……という印象を受けたそうです。


このご両親には私の印象を話し、子ども自身ももう中学から高校にかけての年齢なら一面おとななので、とにかく当人の意向にまかせるほうが良いのではないかということになりました。


こんなこともあります。


あるときこの子どもがどこかに出かけてしまって、何日も帰ってきません、家中で心配していたところ、数日たってから、四国のほうから便りがあって、いまちょっと小づかいをもち出して、旅行している。


宿屋である大学生と会って、とても話が合って楽しいときを過ごしているから心配するな……という至極のん気な手紙です。


親の心も知らないで、とまったく言いたいくらいの事件なのです。

登校拒否児について 5

この子どもの問題は中学2年ごろから表面にあらわれてきました。


わたしの知り合いが以前、学校長をしていたころのことです。


父親である医師がその奥さんと一緒にぜひお話したいというのです。


その話というのはこういうことです。


子どもがときどき学校を休みはじめてからもうだいぶになります。


おきまりのとおり、はじめはどこか具合が悪いのかと思って気にかけなかったのですか、何日も続けて休むようになってからは、祖父(この父親の父でおなじく医師)からも父親が相当たしなめられ、なんとかしなければと心をくだいています。


兄は大学1年で、医師を嫌い別な学部に行っています。


当の子どもは、進学だけを目標とするような高校がどうも気に入らないらしいのです。

登校拒否児について 4

そんなことはおまえに言われなくても、教育の専門家は十分に考えて、あらゆる手を打っているのだと、そして問題は学校の制度や教育のしかたにあるのではなくて、子どもの自我が弱いのだと、甘やかされて育ってきた子どもが、しょうしょうのストレスですぐに、うつ状態になったり、ひとに頼ったり、社会から背をむけるようになるその精神病理はまさに、育ってきた家庭環境と親の態度にあるのだ……と。


またなかには、かなり病的とも思われる例があるのだから、それは精神医学や、臨床心理学やカウンセリングによる専門的治療でするべきである……と。


私も、このような考え方がしごくもっともだと思います。


また一部のマスコミの扱い方が大げさすぎたり、または一般社会のひとびとのその情報の受けとり方が神経質すぎるのではないか、とも思います。


それでも、なお、どうしたら良いのだろうか……という段になると、きわめて歯ぎれの悪い言い方しかできなくなります。


すなわち問題は、子ども自身にも、家庭内の人間関係にもあるし、とぎには学級におけるその子どもの位置づけを教師が十分に知っていないこともあるのだから、ケースバイケースに取り扱う以外にない、というようなきわめて評論家的な結論です。


しかしこれではやはり説得力が足りないように思えますので、次の例によって、もうすこし具体的な方向づけをしてみましょう。

とあるゴミ投棄事件

こんにちは。


近年、ごみ問題やリサイクルについて関心が高まっているように思われます。


これは、リサイクルトナーなどを積極的に利用する人や企業が増えていることからもうかがえます。


以前、「ごみ移送青森事件」というのがありました。


600キロも離れた遠隔地に未処理の生ごみを、1ヶ月近くも毎夜10トントラック10台で運び出すというものでした。


これはどうみても異常なことです。


これを行った千葉市にもよほど切羽詰った状況があったのでしょうが、ごみを持ち込まれる側の立場はどうなるのでしょうか。


ある大学教授は、持ち込む側にも弁解の余地があるにせよ、「都会生活の排泄物をはるか遠方に投棄しにいくという発想の仕方」そのものが「都会人の限界」であると指摘しています。


しかし、この「都会人の限界」というのは、調査結果によるかぎり、一般の市民には必ずしも当てはまらないことがわかりました。


ごみの自市内処理を支持する人は8割を超え、千葉市のごみが持ち込まれた地元の人々に「申し訳ない」と思う人に至っては、9割近くに達しています。


登校拒否児について 3

私の家のそばに、こんな子どもがいます。


中学1年ですが、勉強が嫌いだといつも言っています。


もう中学でやめて、上の学校へはいかない。


多少の財産を分けてもらって仕事をするのだと公言しています。


もっとも何の仕事ができるかは明らかでない空想の域を出ないのですが……。


私はときに思います。


「学校があるから、学校拒否がおこるのだ……」と、学校という制度が無ければ問題はもともとおこらないのじゃないか。


もちろんこれは冗談です。


しかし子どもが自発的な意欲をそぐようなものが今の学校教育のなかにあるとしたらどう考えたらよいのでしょうか。


もちろんこれには反論がでることでしょう。